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ハンター日記

命とは一枚の葉のようなもの 生と死に差はなく形が変わるだけなのではないのだろうか

投稿日:

2023-03-05 No.999

どうも、北海道十勝のハンターモーリーです。

以前勤めていた会社の上司が亡くなったと連絡がありました。

北海道での環境保全と開発行為のバランスを考える上でのキーマンとも言える方でした。

理念が先走りしがちで曖昧模糊になりがちな環境問題を、実務のレベルに落とし込み問題解決法を提案・実践できる方でした。

元々は自然を破壊する開発する側でしたが、今から30年ほど前から環境に配慮した工事を提案・実践する方向に舵をきったと聞いています。

今現在日本で行われる国や自治体による工事前の環境調査とその結果を工事内容に反映させるスタイルを先駆けて実践した方です。

彼の仕事によって棲み処を奪われた生物もいたでしょうが、一方で救われた樹木や魚類や昆虫類なども沢山いることでしょう。

北海道の環境保全の実践を考える上で重要な人物でした。

私もその方の爪の垢を煎じて飲んでいる者の一人だと思っています。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 




 

 

命とはなにか

エゾシカ

[北海道十勝 林内のエゾシカ 冬眠はしないので冬はササなどを食べて越冬する]

ハンターをやっていると、エゾシカやカラスやハトなどの命をいただくことがあります。

生き物の生死については考えざる得ない立場です。

また、最近は病気になってしまい、自らの命について真剣に考える機会も得ました。

私は完全に健康体で120歳まで生きるだろうなどと思いあがった考えをしていましたが、どうやらそこまでは生きられないようです。

猟師の経験と病気になった経験から、命とはなにかについて整理してみます。

 




 

 

人工知能の考え

「命とはなにか?」という問いを人工知能(chat GPT)に聞いてみました。

以下に紹介します。

命とは、生物にとって最も重要な資源であり、生命の維持や成長、繁殖などに必要な生物学的プロセスが維持されるために必要なものです。
人間にとって、命は自己の存在やアイデンティティ、目的、希望、価値観などに大きな影響を与えるものと考えられています。

科学的には、命は生物の細胞や組織、器官、システムが機能するために必要な物理的、化学的、生化学的なプロセスを含む、複雑なプロセスの総称です。
生命のプロセスには、代謝、成長、分裂、遺伝子の複製、エネルギー生産などが含まれます。

また、命には文化的・精神的な側面もあり、人生における目的や意義、価値観、信仰、人間関係などにも影響を与えます。
人々は、自分の命を大切にし、それを守り、人生を充実させるために努力することがあります。

総合すると、命とは、生物が存在し、成長し、繁殖するために必要な生物学的なプロセスと、個人や文化によって付加される価値や意義を含む、多様な要素から構成される概念であると言えます。

[引用:ChatGPTによる「命とはなにか」への回答]

「命とは、生物にとって最も重要な資源であり、科学的・文化的・精神的な多様な要素から構成される概念である」としています。

「資源であり概念」。

なるほど、生命というものを客観的に把握していると思います。

ただし、この認識は一つの生命に宿る命についての言及であり、命の本質はその「連綿と続く命の連なり」にあると感じています。

 

関連記事:

地球誕生 隕石から共通の祖先誕生

 




 

 

モーリーの考え

猟師として

エゾシカ

[エゾシカのお刺身 新鮮な鹿肉でしか味わえない食]

猟師として「命とはなにか」という問いの答えは「糧」であると思っています。

エゾシカを鉄砲で撃ち、解体し、料理して、食べ、栄養として体に取り込む。

その栄養をもって、働いたり遊んだりするのです。

また、鹿肉を売ったりして実際の生活の糧にしている猟師もいます。

猟師にとって、獲った命とはまさに「糧」だと思います。

 

その糧を得る際に、エゾシカへの憐憫や悲哀を感じます。

一方で、スコープにエゾシカを捉え、首や頭に当たって一発で仕留めることができたら最高に気持ちが良いと感じることも事実です。

テニスでいうならタイブレークでサービスエースを決めるような、フットサルならゲームで決勝のゴールを決めるような、そんな興奮に似ているように感じます。

 

「糧」を得る際の「一抹の申し訳なさ」と「気持ち良さ」のアンビバレンツな感情こそが狩猟の醍醐味であり、「糧」である「命」を実感できる瞬間でもあるといえます。

 

 

病人として

ヤチダモの木

[北海道十勝 ヤチダモの木]

昨秋に病気の診断をいただきました。

以前に一度オオスズメバチの巣を踏み抜いてオオスズメバチに刺された時や毛虫に刺されて首回りが腫れた時、健康診断や歯医者以外では、生まれて初めて病院にかかりました。

幸い、手術もなく薬を飲んでの経過観察となっています。

狩猟や仕事は特に問題はありませんが、登山やロードは少し怖さを感じている状態です。

春から登山も再開しようと思っていますが、どうなるやらです。

その診断を受けた時に、初めて「死」というものを実感しました。

「あぁ、死ぬのかな?」という圧倒的な不安です。

その圧倒的な不安を解消できないかと本を読みました。

手塚治虫「ブッダ」と苫米地英人「生と死の取扱説明書」が気に入りました。

正直、死への不安は相当軽減したと思います。単純なので。

「生と死に差はなく、形と認識が変わるだけである」という思想だと読みました。

 

日々をどのように生きてゆけば良いのか?

死への恐怖をどのように克服すれば良いのか?

そういう疑問を感じる方は、まずは上記の二冊をおすすめします。

 

「聖書」も昔からチラチラ読み進めていましたが初めて一冊を読み終わった感想は、ちょっとピンとこないものでした。

キリスト教では「生は神からの贈り物であり、死は生の間の罪ゆえの罰」という思想なのでしょうか、私には馴染みませんでした。

ユダヤ教の派生であるキリスト教やイスラム教は私には合わないかもしれません。

 

関連記事:
スズメバチ戦記 オオスズメバチ500匹vsモーリーと仲間たち

 

 

一枚の葉

落ち葉

[ヤマモミジの落ち葉]

本を読み死について学んだ後に、山を歩いて感じたことは

「個人の命とは一枚の葉」のようなもの

であろう、と思いました。

春になり新緑が息吹き、夏に葉は太陽の光受けそのエネルギーを幹へ送り樹木自体を生長させ、秋に紅葉に染まり、冬を前に枯れ落ちる。

枯れ落ちた葉は、昆虫や小動物たちの越冬用の布団となり、微生物たちの餌となり、やがて腐葉土となり、新たな植物の生長を助ける糧となります。

一枚の葉には形を変えた役割があり、その存在は形を変えて残り続けます。

生と死に明確な違いはなく、死は受け入れるものであり、恐れるものではないという思想を山を歩きながら感じます。

 

冬を迎えた日高山脈

[冬を迎えた日高山脈と黄色くなるカラマツ林]

晩秋の日高山脈です。

山を見ると雪が積もり、地にはまだ雪は降っていません。

しかし、木々は黄色く染まります。

季節の移り変わりが木々の葉を散らします。

 

ヤチダモ

[ヤチダモの木]

私たちの生とは、このような巨木の木々を構成する一枚の葉であろう。

大きな巨木を生長させるために、私たち一人一人があるのかもしれません。

 

 

手塚治虫「ブッダ」と苫米地英人「生と死の取扱説明書」については、このブログでもその内、書評というか読書感想文を書いてみたいと思います。

面白かったです。


参考文献:
死後の世界をどう考えるか― 東洋思想の死生観から見えてくること― 三浦宏文

【看護学生】成人看護学のレポートを紹介「死生観について」

 

なにわともあれ、今を生きている貴方は健康第一でお過ごしください。

美味しいものを食べにいきましょう。

温泉に行きましょう。

 

したっけぃ

 

  • この記事を書いた人

モーリー

東京からUターンして、2015年から北海道で狩猟しています。趣味は旅、料理、読書、アニメなど。仕事は元絵描きで環境調査、インバウンドなど。 ブログは狩猟を軸に、自然と人の折り合いのつけ方、本質的な豊かさの模索をテーマにしています。

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