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ハンター日記

絶滅危惧ラッコ 30万頭→1,000頭→19,000頭へ ラッコと共に海底自然環境も復活する話

投稿日:

2023-04-18 No.1013

どうも、北海道十勝のモーリーです。

いかがお過ごしでしょうか。

先日、海岸線を歩いているとラッコがいました。

珍しいです。

子供の頃に1回※と10年ほど前に1回※、そして今回の計3回の野生下での目撃経験があります。

あとは昔小樽水族館で見たことがあるくらいのもの。

野生下でのラッコの姿を見ることができて嬉しく思います。

 

※野生下においてラッコを見た記憶があるのですが、論文によると2014年以前は北海道においてラッコの姿はほぼ皆無との報告もあり、アザラシの見間違いか記憶違いの可能性が高いと考えられます。
私の記憶なんていい加減なものです...
いやぁーでも襟裳岬で子供の頃見た記憶もあるんですよねぇ。記憶違いかなぁ?
10年前も見た記憶があるけど、あの頃は頭ボーッとしてたからなぁ?うーーーーん...記憶に自信がありません...

 

ラッコは海に浮かびながらお腹を上にして貝やカニなどを食べる姿が可愛らしい動物として有名な海の動物です。

残念なことに絶滅が危惧されている種でもあります。

絶滅の寸前まで追いやられたのは18-19世紀頃の猟師による乱獲が主な原因です。

今回はその姿を見られて嬉しいと同時にホッとしています。

近年は微増傾向にありますが、核実験や石油流出事故により数を減らす報告もあります。

今後も慎重に見守る必要がある種であると言えます。

今回は北海道の海で時折見られるユニークな生物【ラッコ】についてお届けします。

 

 




 

 

ラッコってどんな生物

ラッコ

[2023.3北海道 2匹のラッコ 気持ちよさそうに海に浮かんでいます おそらくオスとメスと思われる]

生態

分類:イタチ科ラッコ属ラッコ(Enhydra lutris)【ラテン語で海に棲むラッコの意】

形態:体長100cm-130cm、尾長20-37cm、体重オス22-45kg メス15-32kg

分布:北太平洋の北アメリカ大陸からアリューシャン列島、千島列島-北海道沿岸など

食性:肉食で貝類、カニなど甲殻類、ウニ、魚類。稀に海鳥を捕殺することもある

繁殖:春になるとオスがメスに交尾のアピールを行う。哺乳類なので胎生。一産一子or二子。交尾も出産も海上で行う。メスが腹の上に子供を乗せて子育てを行う。オスは子育てに参加しない。

RED:絶滅危惧ⅠA類【ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの】(環境省指定)とされる

行動:
・潜水して貝などを獲る。その際、胸に岩を置いて貝をたたき割って中身を食べる行動をとる。
・たるんだお腹をポケットにして余った貝を保管する。
・成長したラッコは気に入った特定の石を持って潜水の際は重しとして使用する。
・睡眠や食事、哺乳時などは海藻を巻き付けて流されないようにしている。

 

参考文献:

道東沿岸域において再定着しつつあるラッコの摂餌生態の解明 日米北太平洋ラッコ研究グループ 三谷・北野・鈴木2019

 

 




 

 

なぜ絶滅危惧ⅠA類(CR)なのか

ラッコ

[2023.3北海道 2匹のラッコ 2匹が仲良さそうに戯れています]

"GREAT HUNT" 大乱獲時代とラッコの絶滅 300,000頭から1,000頭へ

元々は千島列島やアリューシャン列島、北米太平洋側などに30万頭ほどのラッコが生息していたと考えられています。

そのラッコたちも大乱獲時代を経て、1000頭にまでその数を減らしたと考えられています。

 

ことの始まりは、1741年ロシア皇帝ピョートル大帝がデンマーク人に北太平洋探索を命じたことから始まります。

その航海の途、ラッコを狩り900枚の毛皮をロシアに持ち帰ります。

その毛皮の品質は評判となり、清国(乾隆帝の時代で当時の清国は最盛期を迎えている豊かな時代)でラッコの毛皮を所有することが上流階級の流行となります。

ラッコの毛皮一枚が工場で働く労働者の年収と同額の値段だったと言われています。

1741年の探検航海を皮切りに 100年続く"GREAT HUNT"(大乱獲時代)が幕を開けてしまいました。

1800年中頃までに、千島列島からアリューシャン列島、アラスカ、カルフォルニアからメキシコにかけて広く分布していたラッコは絶滅状態となりました。

記録では1800年代にカルフォルニアから100,000枚以上のラッコの毛皮が清国に送られカルフォルニアのラッコは絶滅したとされます。

ちなみに、大乱獲時代は日本は鎖国中でした。

日本がラッコ狩猟に参加するのは明治維新後の1873年以降であり、千島列島や北海道のラッコは乱獲された後であったと思われる。

1792年にロシアと日本の通商に関わる最初の交渉が持たれましたが、ロシア側の目的はラッコの狩猟を円滑にするための目的も一部あったと思われます。

ちなみに、この頃のアラスカはロシア領でした。

欧州ではフランス革命がおこりフランス国王ルイ16世と妃マリーアントワネットが断頭台に消え、天才用兵家ナポレオン=ボナパルトが一代で皇帝になりおおせる、そんな時代にラッコは絶滅の危機を迎えていたのです。

 

参考サイト:

らっこちゃんねる ラッコの歴史

 

 

1911年世界初の動物保護を目的とした「膃肭獣保護条約」が露米英日間で締結

1911年、ロシア・アメリカ・カナダ(英国)・日本の4か国はラッコやオットセイの保護を目的とした動物保護条約を結びます。

膃肭獣保護条約(おっとせいほごじょうやく)と言います。

動物保護を目的とした条約としては世界初の条約締結です。

ラッコが絶滅するほど追い込む強欲な人間がいる一方で、ラッコを保護しようとする理性ある人間もいることが同条約締結をもって伝わります。

この条約締結をキッカケとしてラッコの完全な絶滅は免れたと言えます。

しかし、その後もラッコの受難は続きます。

冷戦期ロシアによるアリューシャン列島における核実験により700-2000頭のラッコが死滅。

1989年アラスカ湾における石油流出事故でもラッコが1000-3000頭が死滅。

保護条約が締結されましたが、その後もラッコの受難は続くのでした。

 

 




 

 

 

ラッコの復活と海底環境の復活 絶滅危機の1,000頭から19,000頭へ

[2023.4北海道 沖に浮かぶラッコ 実際は米粒サイズでしか目視できません 観察するには双眼鏡や望遠レンズが必要です]

2004年の調査ではラッコの個体数が19,000頭まで回復したという報告があります。(Kornev and Korneva2004)

私たち生物は生態系という大きな網といいますかシステムの中で生存を許されています。

私たちヒトもラッコもです。

1900年頃、ラッコが絶滅の危機に瀕するほどに数を減らした時、海底では大きな環境変化が起こりました。

ラッコが食べていたウニやアワビが天敵であるラッコの激減により急増。

すると増えたウニやアワビが昆布(ケルプ)をたくさん食べて、今度は昆布が激減してしまいました。

すると、昆布の森で生活していた魚やタコたちが棲み処を失いいなくなってしまいます。

そうして、海底には昆布のない砂漠のような光景が広がり生物の姿が消えてしまいました。

ラッコがいなくなることで海底の昆布たちが織りなす豊かな森も消えてしまったのです。

 

そして...

近年、ラッコの個体数が少しづつ回復してくると共にラッコが住む沿岸には豊かな海底環境が戻ってきています。

ラッコを守ることは自然を守ることであるとも言えるのです。

 

参考サイト:

らっこちゃんねる ラッコの保全活動

 

 

これからもひっそりとラッコを見守っていこうと思います。

貴方も一緒に見守ってください。

このブログでも時折ラッコを探しにいきますので。

そして、できれば貴方も家族や友人をお誘いして山や川、海へ遊びに行ってください。

自然での適切な体験こそが自然を知り、自然を守る近道な気がします。

 

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したっけぃ

  • この記事を書いた人

モーリー

東京からUターンして、2015年から北海道で狩猟しています。趣味は旅、料理、読書、アニメなど。仕事は元絵描きで環境調査、インバウンドなど。 ブログは狩猟を軸に、自然と人の折り合いのつけ方、本質的な豊かさの模索をテーマにしています。

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